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今年の抱負2023.01.09

こんにちは。矢野です。

最初にお知らせ。

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さて、毎週日曜日更新のラフラジ第48回が公開しました。
https://anchor.fm/laughter8

今回は「矢野の正月」ということで、僕が正月にこんなことしてたよーということを話しています。主には花のモニュメント制作の裏側の話でプラス美術館行った話とか。その中でも話していることで今日は「見せない美学」「見る」ということに対して僕が感じたことを書きたいと思います。

まず昨日ブログLee Ufan展に行った話をしましたが、そこから蜻蛉返りして京都の妙心寺退蔵院で1月9日まで公開されている襖絵を駆け込みで見に行ってきました。

これチラシの写真なんですけど、というのもこの襖絵写真撮っちゃいけないんです。絵自体はそれはもう写真を撮りたくなるくらい素晴らしいもので、ものすごく緻密に大胆な筆遣いで描かれているものなんですが、とっちゃいけない。さらにこの場所は普段非公開らしいです。

最近美術館で催されている展示ってほとんどが写真OKになってきてるんですが、まさに時代に逆行しているかのごとく。いや守っているというべきか。

つまり誰かに見せるためでもないものに膨大な年月とお金をかけて作っていてまさに「見せない美学」。

これが日本的な奥ゆかしさや美学という類のものなのか、それとも仏教的な宗教性を孕んだものなのかは分かりませんが、こういうことができる精神っていいなと深く感心しました。

 

ところで「見る」ということについてなんですが、皆さんは見るということについて意識されたことはあるでしょうか。

花のモニュメントを作った時にものすごく「テーマは何ですか?」と聞かれて、それがきっかけで少し見るということについて考えるようになりました。

テーマや目的、意味を問うのは決まって大人な気がします。

とある研究で子供と大人に1枚の絵を見せて、この絵をよく見て下さい。と言った時、子供に比べて大人は圧倒的に絵の題名や解説文を読んでる時間が長かったらしいです。(何かで読んだので本当かは知りません。)

でも実際僕はそうだろうと思います。現代アートを見た時に訳がわからない。見方がわからないという人が多いのはそういうことです。それは情報社会になってなんでも携帯で検索したら答えがすぐにわかってしまうことが癖付いた結果かもしれません。感覚より事実や理解を無意識に優先してしまうのでしょう。

だから題名や意図を知ってからでないと対象を見ることができない。でもそれは本質的に見ているかというと多分そうじゃなくて、自分が理解しやすいように見たいところだけを見ていたり、見た気になっているだけかもしれません。

ただ見れるようになるにはまず膨大な数見ないといけないのだと思います。自分の中にストックがないと何が好きで何が好きじゃないのか、比較ができません。

コーヒーも一緒。どんなコーヒーが好きですか?と聞かれても色んなコーヒーを飲んだことがないと自分がどんなコーヒーが好きか応えることはできません。

よく好きなものはなんですか?という問いに答えられないという声をよく聞きますが、そういう方は多分圧倒的に経験不足なんだと思います。僕も最近までこの問いに全く答えられませんでした。

好きなものがスッと答えられる人。同じものを見てもその感想をすらすらと述べることができる人は圧倒的に色んなものを見聞きしていて、自分の中にものすごい量のストックがある人です。それは外から見たら「あの人は感受性が高い」という風に映るかもしれませんが、それはおそらく先天的なものではなくて後天的に培われたものなのだと思います。

ということで僕の今年の抱負は圧倒的な量の「見る」「聞く」をすること。