暇と退屈の倫理学

記事の著者:龍平矢野
公開日:2026年6月27日
コメント数:0 コメント

こんにちは。矢野です。

今日も雨。結局ずっと雨ですね〜。
みなさま大丈夫でしょうか?何を見ても鴨川が増水してるニュースしか出てこないので他の地方がどんな感じなのか全然わかりません。
気をつけてくださいね。気持ちはすごくわかりますが川などには近づかないように。

 

昨日寝る前に映画見てたんですけど、最後の方のシーンで「お前みたいなやつクラスに一人や二人いるんだよ。全部悟ったような顔して、つまらなさそうなやつ。学校なんてつまらないところだよ。でもつまらないのは学校のせいじゃない。お前がつまらないだけだ。」みたいなセリフがあって。

最近ちょうどつまんねーなーと思ってたんですよ。
だからこのセリフが妙に刺さってしまって。

「暇と退屈の倫理学」という有名な本がありまして、こちら哲学に興味はあるけど読んだことないというような哲学初心者におすすめの本なのですが、この中でも言及されています。

よく「暇」と「退屈(つまらない)」は同義として捉えられてしまうことが多いですが、ここは明確に違います。
暇は物理的であるのに対して退屈(つまらない)は心理的。
暇から退屈が生まれることは往々にしてありますが、同義ではありません。

現に僕は仕事などやらなければいけない作業には毎日追われてますので決して暇というわけではないのですが、退屈ではあるわけです。

そしてこの退屈という心情こそ人間が発展していく過程で副産物的に獲得してしまった絶望的能力の一つ。退屈は人を死に追いやります。

なぜ退屈するのかというとそれは人間が生物の中で唯一「明日も生きている」ことを前提に今日を生きているからです。なぜ明日も生きていることが前提となったのかは人間が唯一生産をすることを覚えたからなんですが、これは世紀の革命であったと同時に終わらない絶望の始まりでもあったわけですね。

そしてここで思い返したいのが創業当初です。
あの時は仕事が全然なかったのでめちゃくちゃ「暇」だったんですが、常に生命の危機と隣り合わせだったので不思議と「退屈」はしてなかった。

そうすると僕は今「明日も生きている(会社が続いている)」ことが前提になって過ごしてる。

こんなの最悪じゃないですか。
なんかあらゆることにがっかりしますね。
ということでお金はカツカツですが近い間に旅に出ます。

常に死と隣り合わせで生きていたい。じゃないと生きてる実感が湧かないですからね。

 

シェアする

コメントを残す

コメントは承認後に公開されます。