こんにちは。矢野です。
最近「ジャーナリング」ってのが流行ってるらしいですね。
ようは手帳とかにその時の感情とか考えとかをありのまま書き出すことらしいんですが、なんでいつの世もこう横文字のものが流行るんでしょうね。笑
僕ももう1年近く手帳のような日記のような手記をつけていますが、例えば日記なんていうのは頭の整理とかメンタルの安定とかいろんな面から見てもいいよーなんてことは太古の昔から言われていることで、やった方がいいかという観点で言えば早起きくらい元々知名度ありますよね。
それを全然やってこなかったのに最近になってジャーナリングなんていう気取った寒々しい名前がついた途端にまるで新しいものに飛びつくように、流行に飛びつくように一斉にやり出すのはなんだか不思議なもんです。
それはさておき、僕も自分でやってて思うんですが、あまり思考を整理しすぎるのもいかがなものかと。
なんだかわからなさみたいなものがエネルギーになることもあるじゃないですか。破裂する寸前のパンパンに膨らんだ風船が一番パワーを溜め込んでるみたいな。
それをあまりにもちょくちょくガス抜きしてしまうと自分で煮詰める前に満足しちゃうんですよね。ジャーナリングに関してはそれが目的なんでしょうが。
僕は最近ずっとパンパンの状態をあえて維持してるような感じなんですが。笑
なんでそんなことしてるかっていうと、これは僕の考えなんですが、大きさに差はあれど人にはみんな器があると思うんですよ。サイズの決まった器が。
この器の中に何色の液体を入れてもこの器は一つなので、例えば赤色の液体でいっぱいにしたら青色の液体はもう入らないんです。
だからもし家族がいたとして、家庭という温かい優しさで器がいっぱいになったら、孤独という狂気は入る隙間がない。
今自分が何色の液体を器に入れていたいのか、これは意識してみても面白いんじゃないでしょうか。
それでは僕はちょっくら茶色の液体を注いできます☕️