花を「育てる」ということ

Article author: 龍平矢野
Article published at: Nov 5, 2026
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こんにちは。矢野です。

今日は思いの外気温が高くて、その割に厚着してきてしまったので店内を少し涼し目にさせてもらってます。
でないとタンクトップで営業をすることになりそうなので…。笑
今週もずっとCØのリニューアルに向けて働き詰めです。その間に一つLaughterで打ち合わせを。5年ぶりに大チョンボをしてしまいました。関係者の皆様本当に申し訳ございませんでした。
この辺のお話はまた皆様にお知らせできるタイミングで合わせてお話したいと思います。

さて話は変わって僕は植物が好きでして、自宅でもたくさん育ててるんですが、その中の一つであるグラジオラスという花が咲きました。買ってきた時はまだ蕾だったこの花が。

花と聞いたら皆さんは何を連想するでしょうか。

贈る花、もらう花。
何かの記念を連想する方も多いのではないかと思いますし、その場合にはお祝いなど何かしらの役割が乗っています。
だからこそ嬉しいという方も多いと思いますが、この場合の花は渡すという行為の瞬間に役割のピークを迎えるため完結していると言えます。

一方で「育てる」という行為は全く別位置に存在しています。
育てる花には終わりはありません。花が咲いた時もピークではなく通過点に過ぎず、その後萎れ、枯れ、また蕾をつけいずれ花が咲く。

そして観察しているとどの順番に蕾が咲いていくのかによって、どういう経路を辿って茎の中を水や栄養が巡っているのかが見て取れます。
そこに作為の介在しない生命の存在を実感します。
この場合、水をあげたり陽に当てたりということはあっても基本的に人間はただの観察者に過ぎません。だって本来的にはその辺の道端に植えておいても植物は勝手に育つのですから。

この生命のサイクルを見守っているとそこに小さな宇宙を感じます。

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