こんにちは。矢野です。
今日は努力の方向性という話をしたいと思います。
よく努力は必ずしも報われないと言われます。これはその通りで、統計的にも成功するかどうかには運の要素があまりにも大きく絡んでいて、まさに吉報は寝て待てということにほかありません。
がしかし、宝くじも買わなければ当たることはないように何もせず家で寝てても何かいいことがあるわけではありません。しかるべき準備をした後は右往左往せずじっと実を結ぶのを待ちましょうということですね。
決して努力しなくてもいいということではありません。
努力をすれば成功するわけではないですが、成功している人はすべからく努力をしています。
(ごくごく稀に本当に運だけで成功してるやつがいます。でもそんなのは長く続かないので無視です)
では努力とはなんぞやということなんですが、これにはいくつかポイントがあって、まず努力という言葉を聞くとみなさんどんなイメージを持つでしょうか。
きっと多くの人が「したくないけど必要だとされることを一生懸命頑張っている姿」を思い浮かべるのではないでしょうか。
確かに何かを成し遂げるために最初からしたいことだけやってて辿り着けるほど甘くはありません。そんなことも多々あるでしょう。
でもその作業は本質的なところではないのです。一番適した努力とは「自分がその作業を苦とも思わずやり続けられるもの」なんです。
だから周りから見たらそれは努力そのものなんですが、自分はいやこれくらいは当たり前なんじゃないの?みたいに思えるものです。なぜそれが大事なのかというと、結局のところ技術であれ知識であれなんであれ、それが目に見える形で成果として現れるまでには長い時間を必要とします。
なので一番大切なのは「続ける」これ一択です。
努力と対極のように用いられる言葉として「才能」というのがありますが、もともと生まれた時に備わっている能力にそんな大した差なんてありません。それがどうして大人になるとこうも差が生まれているのかというと、それは「続けたから」という結果に他なりません。だからあえて才能という言葉を説明するならそれは「大多数の人が途中で辞めてしまうことを続けられる」という努力とされるものにも似たものだと思います。
例えば僕でいうとこの仕事もそうですが、絵を描く、読書などがありますが、読書がわかりやすいですね。僕は西洋から東洋まで新旧あらゆる哲学書や文学を毎日のように読み、自分の身になるまで咀嚼をしています。僕は好きで読んでますが、周りからは小難しい本を毎日読んで勉強してるね〜と思われています。(時にはイキっていると揶揄されます笑)
多くの人がこれらの本を日常的に読むことは辛いことだと認識しているので続きません。でも僕はそれが普通なので努力とも思わずに何年も続けられます。3年もすればこの差はとんでもない差に変わります。
そして誰しもにこのようなものが存在し、それを他人は「努力」と呼び、続けることによって「才能」に変わるのです。
さあ、努力の正体が掴めたところで次はその「努力の方向性」の話をしましょう。
先ほど「努力が報われるとは限らない」と言いましたが、正しい方向に正しい時間続けられた努力はいつか必ず何かしらの形になって報われると僕は信じています。
でもこの正しい方向にというのが意外に難しい。
僕たちはLaughterという珈琲屋を営んでいて、コーヒー豆をより多くのみなさんに届けたいと考えています。そんな僕らがとにかくお客さんの数を増やすことが大事だと考えてスイーツを作ることに力を注ぐとどうなるでしょう。スイーツ目当てのお客さんが増えて店の売り上げは上がるかもしれませんが肝心のコーヒー豆がより多く売れるという未来は想像がつきづらいですね。
こうして聞くと当然だろうと考える方も多いかもしれませんがこれが意外と自分のこととなるとできていない人が多いんです。
例えばあなたが会社を辞めて個人事業主になったとします。最初のうちなかなか仕事が来ない。ここで多くの人が異業種交流会や経営者交流会、もしくは地域の個人事業主が集まるイベントに参加して人脈を築いたり、すごい人と知り合ったり、あわよくば仕事をその場でゲットしようと考えます。
でもこれは多くの場合間違いです。あなたが考えたことと同じことを考えて参加している人が多いからです。集まっている人の多くがその場に何かを期待しています。つまりみんな仕事が欲しいと思ってきてるんです。誰も仕事をあげようと思ってきている人はいません。
つまり例え業種が違ったとしても、これは同業者に同じ商品の営業をかけているのと同じ構図になってしまっているのです。
フラッシュ暗算の大会に出るのに毎日筋トレしてても意味ないですよね。
だから努力とは何なのか、そして努力の方向性が合っているのか、この二つをしっかり押さえておくことが大事だと思います。