「変わっている」人になるとはどういうことか。

Article author: 龍平矢野
Article published at: Jul 24, 2026
Article comments count: 0 comments

こんにちは。矢野です。

最近生成AIに「これまでの私との会話だけを元に私が逃げ続けているものを一言で教えてください」みたいなことを聞くことが流行ってるみたいで、僕も暇つぶしがてら聞いてみました。

返答は

「普通であること」

その通りだなと。
思い返せば起業をしたことも、絵を描いてることも、写真を撮ることも、小難しい本を読むことも、金髪にしたのだって全ては普通から逃れるためだったんじゃないかと。

僕はずっと自分の普通さがコンプレックスでした。変わってる人に対して憧れがありました。それは今もそうです。
多分みんな誰しも多かれ少なかれ「人とは違う」ということに憧れはあると思いますが、大半の人たちは思うだけで終わるんじゃないでしょうか。
その中で人一倍その気持ちが強くて、居ても立っても居られない人が何か行動に移しだす。
それが人によっては起業であり、アートであり、社会活動であったりする。
あえて違うというならこの「変わっていることへの執着の度合いが強い」という点で、本質的には他のみんなとなんら変わらないんじゃないでしょうか。

だから僕は自分が誰よりも凡庸であるという自意識から逃れるためにいろんなことを始めました。

そして気づけば周りから「変わっている」「変人」と言われるようになっていました。
でも内心ではずっと自分のことを今も普通だと思っていて、今でもそこから逃れようとしています。

ところで少し話を飛ばして、偉大なる文豪やアーティストには自殺者がすごく多い。
そしてみんなから「あんな作品を作れるなんて人とは違う感性を持ってる」「あんな死に方をするなんてやっぱり狂ってたんだ」と言われている。
みんな彼らは「変わっている」「狂っている」だから「素晴らしい作品が作れる」「人とは違う生き方(死に方)をする」と思われていますが、これはもしかしたら結果論なんじゃないかと。

むしろ逆に彼らは誰よりも自身の普通さを自覚し、コンプレックスを抱き、人と異なるために様々な試行錯誤をし、結果素晴らしい作品を作った。それを見た人が彼らを「変わっている」と評価した。のではないでしょうか。

太宰治も自らの卑しさやくだらなさを生涯に渡り嘆き、それを作品へと昇華させ評価されました。
自殺を選んだのも、普通に老いて孤独に寂しく死んでいくことから逃れるためだったんじゃないでしょうか。三島由紀夫が割腹自殺したのも大気名分はあれど、そうすることによって自分が非凡であるということを自身と他者に言い聞かせたかったのではないでしょうか。結果彼らはどちらもみんなから「変わっている」「狂っている」と評価されている。
これが普通に老いて死んでいたらまた印象は変わっていたのかもしれない。

このように仮説を立てると、あんな偉人たちでさえそうなのだからと僕はちょっと生きやすくなる。

だから僕はこの考察を信じていようと思います。

Share

Leave a comment

Please note, comments must be approved before they are published